デカルト「我思う」とは|株式会社21世紀ものづくり日本用語集

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デカルト「我思う」とは

 デカルト「我思う」

 
 
 
■マネジメントを語るとき、
ドラッカーの「真摯さ」にしても、
儒教の「仁」にしても「義」
 
そして
仏教の「無我」にしても
 
「個人」としての人間に焦点を当てる、
近代の思想とは異なりますね。
 
 
 
それでは西洋から始まった近代思想とは何か?
 
 
 
ニュートンの物理学、
ヘーゲルの弁証法などの哲学、
アダム・スミス、ケインズ、マルクスの経済学、
 
その学問的方法論である「要素還元論」は
「デカルト」の思想だと言われます。
 
■「我思う、ゆえに我あり」
 
 
仏教の「無我」に対して
デカルトの「有我」(我あり)
対象的ですね。
 
 
デカルトは
自分も含めて人間の理性も感性も
移ろいやすく変化して止まないと考えました。
 
何かを構築しようとするとき、
地盤が軟弱であれば崩壊してしまう。
 
確固たる事実に基づいて
科学は構築されなければならない
と考えました。
 
自分の存在が信じられなければ
そもそも社会は存在しないと考えた。
 
ここまでは仏教の「無常」「無我」
と同じだと思いませんか?
 
しかし、
デカルトは「自分は思うから自分はある」とした。
 
「思う」とは感性ではなく理性である。
 
 
そこに絶対に疑えない事実を見た。
 
■「すべては変化して人の存在は危うい」
これは東洋も西洋も一緒。
 
仏教では
「人も組織も網の目として時間軸にも空間的につながっている」
として個人の存在ではなく、
社会との連続性の中で個人を位置付けた。
 
その知は個よりも群(社会)の行動ルールとなった。
 
一方
デカルトの方法論は西洋の近代科学となって
 
個の存在からスタートしているので
個と組織社会が対立する中で進化する
行動ルールになった。
 
資本家と労働者
社員と経営者
指揮命令するものされる者
搾取するものされる者
教える者と教えられる者
 
■派遣労働者問題、アウトソーシングなども
内側と外側を分ける思想です。
 
人でも組織でも経済連鎖の一つの環として
考えるならば
区分する思想ではなく統合する思想、
 
すなわち
相互に共生する有機的システム(生き物)
と考えるべきなのです。
 
 
ドラッカーの社会生態的視点は
「無常無我」「仁義」など東洋思想での
経済連鎖的視点と同じものだと思います。
 
経済連鎖とは人も組織も
社会生態の中での「種」に過ぎない。
 
餌が不良在庫になって枯渇して
生態系が病んでいる時、
 
個(弧)だけで解決しません。
生態系としての処方箋が必要ですね。