人も組織も、社会である外部の資源を、社会である外部の価値に
変換する経済連鎖の一つの環です。
仏教の<無我>とは<相互依存>のことであり、人も組織も
ネットワークの連鎖でつながっている。そのイメージを
表現した、球形の網の結び目が宝石となっているのが
「インドラの網(ネット)」
◆━━━今岡善次郎のマネジメント・メルマガ━━━━━◆
第076回
★顧客の顧客まで誠をつくす仕事の連鎖★
~
P.F・ドラッカーの社会生態学的経済連鎖モデルが開く 人生・企業・社会の共通のフラクタル構造~
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
『無我の境地』
■こんにちは、今岡善次郎です。
今日11月4日も
メルマガお読み頂きありがとうございます。
気温が対前日に比べて10度以上変化する日々、
皆様、体調管理に気をつけてくださいね。
週末、すでにコート姿が主流の天津から帰国したら
日本は未だ半袖のTシャツ姿でした。
ところが月曜になると一転冬姿になりましたね。
さて、
●今週のテーマ
====================
1.無我にして一切受け入れる
2.半分の行動は誤りである
====================
1.無我にして一切受け入れる
■「六十にして耳順(した)がう」(論語)
とはどういう意味か?
安岡の解説を紹介します。
六十歳になって自我が確立し天命がわかると
私心、独断、偏見が無くなり、
すべてのことに無心に接することができる。
あらゆる存在を受容することができる、
■六十歳になると「俺が、俺が」という「我執」が消えて
あらゆる人の話を聞く余裕・素直さが出る。
これが耳順(じじゅん:みみしがたう)
の意味だそうです。
私も耳順の歳を越えてその境地になりたいと
考えますが、
一切を無心で受け入れることは難しいですね。
■六年前、
妻が若年性アルツハイマーと診断を聞いた時には
耳を疑った。
この病気の恐ろしさを調べるほどに現実を受け入れることが
できなかった。
■しかし、その後仕事もやめ、
自分のことではなく、
彼女の人生に思いを馳せ
彼女に精神寿命があるうちに、彼女の友人、親族に会わせようと
考える心の余裕が生まれました。
六十歳を過ぎた今は、週二回病院に面会に行き自然体で接し、
仕事に復帰して新しい人生を歩み始めています。
やはり「耳順」の歳でしょうか。
2.半分の行動は誤りである
前原大臣の羽田ハブ空港化発言で議論が持ち上がり、
日本の航空行政が
中央と地方政治家、利権などと絡み合い
妥協の積み重ねだったことが表面化しています。
成田と羽田、関空と伊丹をどうするか。
今までの行政の決定は、
その都度、「その決定は本当に必要か」と
正しく、問われてきたか?
ドラッカーは言います。
■必要な問いは、
「何もしないと何が起こるか」であり、
「何も起こらない」ならば何もしない方がいいと。
一方、その答えが
「事態が悪化する」
「機会が失われる」ならば
行動するしかない。
■優秀な外科医は不要な手術はしない。
下手な外科医は手術をしたがる。
何かを成す決定は
手術と同じである。
何もしなければ事態が悪化する場合、
何かをしなければ重要な機会が消滅する場合、
思い切った改革が必要である。
■多くの場合の失敗は半分だけ行動することである。
地方空港だけ整備してハブ空港は作らなかった。
地方経済はグローバル経済の一部になっている時、
国際空港と国内空港の一方だけの、
半分だけの別々の政策をとった。
多くの場合中途半端な妥協が行われる。
ガンや盲腸は半分だけ切除しても完治しない。
我々は人生のマネジメントにも企業のマネジメントにも
中途半端な妥協をしていることが多い。
半分の手術はない。
半分の行動は誤りである。
この考え方いかかでしょうか。
本日もメルマガ読んで頂きありがとうございます。
今岡善次郎
----------------------------------------------------------------
株式会社ビジダイン
http://www.bizdyn.jp/
東京農工大大学院客員教授
多摩大学大学院客員教授
http://www.tuat.ac.jp/~rmmot/about/prof/imaoka.html
http://tgs.tama.ac.jp/modules/teacher/index.php?fct=photo&p=33
----------------------------------------------------------------
部分である人は人との関係でしか存在しない。仕事の場で人は組織
の関係でしか、存在しない。どんな専門も他の専門との連携でしか
仕事の成果を生まない。企業は社会との関係でしか存在しない。
科学的管理が説く、外部は単なる環境ではなく、
企業は社会の一部である。
人も組織も、社会である外部の資源を、社会である外部の価値に
変換する経済連鎖の一つの環です。
仏教の<無我>とは<相互依存>のことであり、人も組織も
ネットワークの連鎖でつながっている。そのイメージを
表現した、球形の網の結び目が宝石となっているのが
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~
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『無我の境地』
■こんにちは、今岡善次郎です。
今日11月4日も
メルマガお読み頂きありがとうございます。
気温が対前日に比べて10度以上変化する日々、
皆様、体調管理に気をつけてくださいね。
週末、すでにコート姿が主流の天津から帰国したら
日本は未だ半袖のTシャツ姿でした。
ところが月曜になると一転冬姿になりましたね。
さて、
●今週のテーマ
====================
1.無我にして一切受け入れる
2.半分の行動は誤りである
====================
1.無我にして一切受け入れる
■「六十にして耳順(した)がう」(論語)
とはどういう意味か?
安岡の解説を紹介します。
六十歳になって自我が確立し天命がわかると
私心、独断、偏見が無くなり、
すべてのことに無心に接することができる。
あらゆる存在を受容することができる、
■六十歳になると「俺が、俺が」という「我執」が消えて
あらゆる人の話を聞く余裕・素直さが出る。
これが耳順(じじゅん:みみしがたう)
の意味だそうです。
私も耳順の歳を越えてその境地になりたいと
考えますが、
一切を無心で受け入れることは難しいですね。
■六年前、
妻が若年性アルツハイマーと診断を聞いた時には
耳を疑った。
この病気の恐ろしさを調べるほどに現実を受け入れることが
できなかった。
■しかし、その後仕事もやめ、
自分のことではなく、
彼女の人生に思いを馳せ
彼女に精神寿命があるうちに、彼女の友人、親族に会わせようと
考える心の余裕が生まれました。
六十歳を過ぎた今は、週二回病院に面会に行き自然体で接し、
仕事に復帰して新しい人生を歩み始めています。
やはり「耳順」の歳でしょうか。
2.半分の行動は誤りである
前原大臣の羽田ハブ空港化発言で議論が持ち上がり、
日本の航空行政が
中央と地方政治家、利権などと絡み合い
妥協の積み重ねだったことが表面化しています。
成田と羽田、関空と伊丹をどうするか。
今までの行政の決定は、
その都度、「その決定は本当に必要か」と
正しく、問われてきたか?
ドラッカーは言います。
■必要な問いは、
「何もしないと何が起こるか」であり、
「何も起こらない」ならば何もしない方がいいと。
一方、その答えが
「事態が悪化する」
「機会が失われる」ならば
行動するしかない。
■優秀な外科医は不要な手術はしない。
下手な外科医は手術をしたがる。
何かを成す決定は
手術と同じである。
何もしなければ事態が悪化する場合、
何かをしなければ重要な機会が消滅する場合、
思い切った改革が必要である。
■多くの場合の失敗は半分だけ行動することである。
地方空港だけ整備してハブ空港は作らなかった。
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株式会社ビジダイン
http://www.bizdyn.jp/
東京農工大大学院客員教授
多摩大学大学院客員教授
http://www.tuat.ac.jp/~rmmot/about/prof/imaoka.html
http://tgs.tama.ac.jp/modules/teacher/index.php?fct=photo&p=33
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部分である人は人との関係でしか存在しない。仕事の場で人は組織
の関係でしか、存在しない。どんな専門も他の専門との連携でしか
仕事の成果を生まない。企業は社会との関係でしか存在しない。
科学的管理が説く、外部は単なる環境ではなく、
企業は社会の一部である。
人も組織も、社会である外部の資源を、社会である外部の価値に
変換する経済連鎖の一つの環です。
仏教の<無我>とは<相互依存>のことであり、人も組織も
ネットワークの連鎖でつながっている。そのイメージを
表現した、球形の網の結び目が宝石となっているのが
「インドラの網(ネット)」
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★顧客の顧客まで誠をつくす仕事の連鎖★
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■こんにちは、今岡善次郎です。
今日11月4日も
メルマガお読み頂きありがとうございます。
気温が対前日に比べて10度以上変化する日々、
皆様、体調管理に気をつけてくださいね。
週末、すでにコート姿が主流の天津から帰国したら
日本は未だ半袖のTシャツ姿でした。
ところが月曜になると一転冬姿になりましたね。
さて、
●今週のテーマ
====================
1.無我にして一切受け入れる
2.半分の行動は誤りである
====================
1.無我にして一切受け入れる
■「六十にして耳順(した)がう」(論語)
とはどういう意味か?
安岡の解説を紹介します。
六十歳になって自我が確立し天命がわかると
私心、独断、偏見が無くなり、
すべてのことに無心に接することができる。
あらゆる存在を受容することができる、
■六十歳になると「俺が、俺が」という「我執」が消えて
あらゆる人の話を聞く余裕・素直さが出る。
これが耳順(じじゅん:みみしがたう)
の意味だそうです。
私も耳順の歳を越えてその境地になりたいと
考えますが、
一切を無心で受け入れることは難しいですね。
■六年前、
妻が若年性アルツハイマーと診断を聞いた時には
耳を疑った。
この病気の恐ろしさを調べるほどに現実を受け入れることが
できなかった。
■しかし、その後仕事もやめ、
自分のことではなく、
彼女の人生に思いを馳せ
彼女に精神寿命があるうちに、彼女の友人、親族に会わせようと
考える心の余裕が生まれました。
六十歳を過ぎた今は、週二回病院に面会に行き自然体で接し、
仕事に復帰して新しい人生を歩み始めています。
やはり「耳順」の歳でしょうか。
2.半分の行動は誤りである
前原大臣の羽田ハブ空港化発言で議論が持ち上がり、
日本の航空行政が
中央と地方政治家、利権などと絡み合い
妥協の積み重ねだったことが表面化しています。
成田と羽田、関空と伊丹をどうするか。
今までの行政の決定は、
その都度、「その決定は本当に必要か」と
正しく、問われてきたか?
ドラッカーは言います。
■必要な問いは、
「何もしないと何が起こるか」であり、
「何も起こらない」ならば何もしない方がいいと。
一方、その答えが
「事態が悪化する」
「機会が失われる」ならば
行動するしかない。
■優秀な外科医は不要な手術はしない。
下手な外科医は手術をしたがる。
何かを成す決定は
手術と同じである。
何もしなければ事態が悪化する場合、
何かをしなければ重要な機会が消滅する場合、
思い切った改革が必要である。
■多くの場合の失敗は半分だけ行動することである。
地方空港だけ整備してハブ空港は作らなかった。
地方経済はグローバル経済の一部になっている時、
国際空港と国内空港の一方だけの、
半分だけの別々の政策をとった。
多くの場合中途半端な妥協が行われる。
ガンや盲腸は半分だけ切除しても完治しない。
我々は人生のマネジメントにも企業のマネジメントにも
中途半端な妥協をしていることが多い。
半分の手術はない。
半分の行動は誤りである。
この考え方いかかでしょうか。
本日もメルマガ読んで頂きありがとうございます。
今岡善次郎
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株式会社ビジダイン
http://www.bizdyn.jp/
東京農工大大学院客員教授
多摩大学大学院客員教授
http://www.tuat.ac.jp/~rmmot/about/prof/imaoka.html
http://tgs.tama.ac.jp/modules/teacher/index.php?fct=photo&p=33
----------------------------------------------------------------
部分である人は人との関係でしか存在しない。仕事の場で人は組織
の関係でしか、存在しない。どんな専門も他の専門との連携でしか
仕事の成果を生まない。企業は社会との関係でしか存在しない。
科学的管理が説く、外部は単なる環境ではなく、
企業は社会の一部である。
人も組織も、社会である外部の資源を、社会である外部の価値に
変換する経済連鎖の一つの環です。
仏教の<無我>とは<相互依存>のことであり、人も組織も
ネットワークの連鎖でつながっている。そのイメージを
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週末、すでにコート姿が主流の天津から帰国したら
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====================
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六十歳になって自我が確立し天命がわかると
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すべてのことに無心に接することができる。
あらゆる存在を受容することができる、
■六十歳になると「俺が、俺が」という「我執」が消えて
あらゆる人の話を聞く余裕・素直さが出る。
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一切を無心で受け入れることは難しいですね。
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■しかし、その後仕事もやめ、
自分のことではなく、
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成田と羽田、関空と伊丹をどうするか。
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正しく、問われてきたか?
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■必要な問いは、
「何もしないと何が起こるか」であり、
「何も起こらない」ならば何もしない方がいいと。
一方、その答えが
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下手な外科医は手術をしたがる。
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手術と同じである。
何もしなければ事態が悪化する場合、
何かをしなければ重要な機会が消滅する場合、
思い切った改革が必要である。
■多くの場合の失敗は半分だけ行動することである。
地方空港だけ整備してハブ空港は作らなかった。
地方経済はグローバル経済の一部になっている時、
国際空港と国内空港の一方だけの、
半分だけの別々の政策をとった。
多くの場合中途半端な妥協が行われる。
ガンや盲腸は半分だけ切除しても完治しない。
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半分の手術はない。
半分の行動は誤りである。
この考え方いかかでしょうか。
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多摩大学大学院客員教授
http://www.tuat.ac.jp/~rmmot/about/prof/imaoka.html
http://tgs.tama.ac.jp/modules/teacher/index.php?fct=photo&p=33
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部分である人は人との関係でしか存在しない。仕事の場で人は組織
の関係でしか、存在しない。どんな専門も他の専門との連携でしか
仕事の成果を生まない。企業は社会との関係でしか存在しない。
科学的管理が説く、外部は単なる環境ではなく、
企業は社会の一部である。